正解を求めてしまう人に伝えたい正しい正解の見つけ方

正解がわからない

こんにちは、コンドウです。

  • 正解がわからないので何から始めればいいのか困ってます
  • どっちを選ぶのが正解かを教えてもらえないですか
  • 正解が見つかるまでいろいろと考えてみます

僕は仕事柄こんなお話をよく伺いますので、そんな時は

「今出てきた正解って?」

と質問をさせていただくことにしています。

なぜなら、その場で出てくる「正解」という単語の裏にどんな疑問・悩み・不安・迷いなどが隠れているかは質問をして深掘りしてみないと判断がつかないからです。

例えば、僕のサラリーマン時代を振り返ると

  • 会社が決めた正解
  • 上司が求める正解
  • 自分の立場における正解

に振り回されていた日々では、目先の「正解」を出すことに囚われ、「それが正解!」と言われることが目的となっていました。

「あなたの正解とは?」と質問されたら、どう答えますか?

そんなちょっと定義がむずかしい「正解」ですが、個人的にはセルフ多数決で多いものが正解と考えるのが、一番自然な見つけ方だと考えています。

ところで「正解」って?

最初に「正解」ってなんだっけ?をまじめに書き出します。

まず「正解」を調べてみます。

 正しく解答すること。正しく解釈すること。また、その解答や解釈。「正解を出す」

 結果的によかったと思われること。「傘を持って出たのは正解だった」

引用元:Goo辞書ー正解

1 正しい解答、解釈をすること。

う〜ん、「正しい」の定義が知りたくなりますね。

2 結果的によかったと思われること。

「今日のランチは、蕎麦の口かもと思いながらも、上司に連れられて行った中華屋さんで麻婆豆腐を食べたら、こっちが正解だった」みたいな、これはイメージしやすいです。

さらに「正しい」も調べてみます。

 形や向きがまっすぐである。

 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。「―・い解答のしかた」「―・い内容」「公選法は―・くは公職選挙法という」「―・いトレーニング方法」

 道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。「行いを―・くする」「礼儀―・い態度」「―・い判決」

引用元:Goo辞書ー正しい

1 形や向きがまっすぐ ???

2 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。

道理って?と調べると「正しいすじみち」「正論であること」と書いてあります。

わかりやすいのかわかりにくいのかモヤモヤするのでここで調べるのをやめます。

3 道徳・法律・作法にかなっている。

これはそのままなので納得です。

調べた結果として、正解とは

道徳・法律・作法にそって解答や解釈をすること、もしくは結果的によかったと思われること

となります。

でも、法を犯さないとか道徳的であれみたいな話は当たり前なので、前半部分をサクッと削ると

正解とは
自分がしたいことをやってみて、その行動の結果を振り返ったときによかったと思われること

これが僕のたどり着いた「正解」の定義となります。

子供の頃と大人になってからの「正解」の違い

子供と大人の「正解」の違い

ところで、なぜ正解がわからないとものすごく不安になったり焦ったりするかというと「子供の頃に正解を求められすぎたから」これに尽きると思います。

家庭では両親や兄弟姉妹から、学校では先生や友だちから、塾や習いごとでもそうですよね・・。

子供の頃の正解とは「自分以外の誰かが決めた形があること・ものの場合が多かったのではないでしょうか。

では、大人になってからの正解とは先ほど書いた通り、自分がしたいことをやってみて、その行動の結果を振り返ったときによかったと思われることと考えると

大人になってからの正解とは「自分が決めた形がないこと・もの」と言えます。

正解って誰かが決めるものではなく、自分で決めるものだとわかると、なんか気持ちがスッキリして、フワッと肩の力が抜けませんか?

「正解がわからない」を楽しむ!

「世間では正解のない時代だなんて言っているけど、自分には関係ないな〜」

と考えていたほとんどの人がコロナ禍で選択肢が増えたことで、必然的に正解を探す機会が増えてしまいました・・。

会社や団体等に属していてその中で動くのであれば、正解が用意されている場合が多いので問題ないですが、個人で何かをする場合には今もこれからも「正解がわからない」の連続です。

そんな状況をストレスに感じるのか、受け入れて楽しむのか・・これは選択の余地なく受け入れて楽しむしかありません。

ここはもう腹をくくって

自分が納得してやりたいと思ったことをとりあえず行動してみる
→行動した結果が増えてくるとやがて正解の形になっていく

と考え方を変えてしまうのがオススメです。

ひねりがない例えですがパズルに置き換えると、バラバラのピース(行動の結果)をひとつずつはめていくと絵(正解)になる感じですね!

それに、正解を自分で決められる=「自由」を手に入れられる

と考えてみてはどうでしょうか?

もちろん、「自由」には「責任」がもれなくセットでついてきますが、自分の考え方や言動次第で圧倒的に自由を増やせるというのも大人の特権ではないでしょうか?

ぼんやりとモヤのかかった曖昧な正解の前で立ち止まるのか、とりあえず気にせずにその先まで歩いて自分だけの正解を探しに行ってみるのか、どちらを選ぶかはあなた次第です!